ZOZOTOWN、アパレルメーカーを経てHALへ。ECのおもしろさは「より多くの人に商品を届けられること」【儀武さんインタビュー前半】

ZOZOTOWN、アパレルメーカーを経てHALへ。ECのおもしろさは「より多くの人に商品を届けられること」【儀武さんインタビュー前半】

2020年から、ドクタースティックのショッピングモールの管理・運営を担当している儀武剛さん。ZOZOTOWNで社会人としてのキャリアをスタートし、さまざまな仕事を経たのち、生まれ育った沖縄に戻りHALに入社しました。

インタビュー前半では、これまでの仕事について儀武さんにお話をうかがいます。

儀武剛さん(前段左)。HALオフィスにてメンバーの誕生会を開催したときの様子。

売り手側と作り手側を経験し、改めてECのおもしろさに気づいた

ーーどのような経緯でスタートトゥデイ(現在のZOZO)で働くことに?

儀武:高校を卒業してから県内のファッションの専門学校に進み、洋服を作る勉強をしていました。進路を考えるタイミングで卒業後は沖縄を出てみたいと考えるようになり、そうしたタイミングで友人からZOZOTOWNの仕事を紹介してもらい、まずは倉庫アルバイトとして働くことに。卒業するまではしばらく沖縄と千葉を往復しながら働き、卒業後に会社の近くに引っ越しました。

僕が働き始めた2006年当時のZOZOにはまだ新卒採用がなく、アルバイトから社員になる人が多かったので、僕もそうしたキャリアを目指そうと考えました。

倉庫での商品管理業務を半年ほど担当したのち、商品写真の処理や加工をおこなう部署で1年ほどで正社員になり、その後社内公募を受けてバイヤーになり働くことになりました。

当時のZOZOTOWNのビジネスモデルは商品をお預かりして売れた場合に手数料をいただく「委託販売」と、バイヤーが展示会に参加し商品を仕入れ販売する「仕入販売」があり、僕はバイヤーとしてさまざまな展示会に参加したりコラボ商品の開発などを手掛けていました。

ーー20代前半でZOZOTOWNのような大規模ECのバイヤーを務めるのはかなり貴重な体験ですね。

儀武:本当に、仕事はすごくやりがいがありましたし毎日楽しかったですね。でも一方で「自分はこのままでいいのかな」と疑問を感じるようになりました。

たまたま大きな金額を動かせる立場にいるだけで、自分の実力以上に周囲が評価してくれているという状況に気づいてしまって。この環境に慣れてしまうと大きな勘違いをしたまま歳を重ねてしまうのではとの危機感があり、自分がいる場所を変える必要があるのではと考えるようになりました。

ーーせっかく正社員になったのに…!

儀武:そうなんです。順調に給料は上がっていたんですが、だからこそ年齢を重ねたら辞められなさそうだなと(笑)

あとは、そもそも洋服をつくる側になったことないのに物知り顔でバイヤーを担当するのはどうなのか、という違和感があったのもZOZOを離れようと思ったきっかけのひとつです。それらの理由から、服飾メーカーへの転職を決めました。

ーーそこではどんなお仕事を担当されていたんですか。

儀武:実際の店舗で接客をしつつ、ネットショップの運営や管理も担当していました。商品開発のために海外へも行きましたね。

在籍していた2年の間にいろんな仕事に携わらせていただいた結果、改めて「やっぱり自分にはECが向いているな」と気がつくことができました。「インターネットを通じてより多くの人に届けられる」というECのメリットを、どのような方法で最大化するか、といったことを考えるのが好きなんだなと。

そうして次のキャリアとして選んだのが、スタイライフ(現 楽天株式会社)でした。

スタイライフは、ZOZOTOWNとほぼ同時期にスタートしたレディースファッション専門のEC企業です。メンズ部門を立ち上げるタイミングで入社することになり、新規ブランド開拓やショップの最適化などを担当しました。そこでも4年ほど働きましたが、在籍中の事業変更や楽天の子会社化、年齢が30歳を迎えたことなどさまざまなタイミングが重なり、そろそろ地元に戻ろうかなと考えるようになりました。

沖縄に戻り、ECサービスの開発・販売を手掛けるベンチャー企業に入社。そこはいわゆる「THE ベンチャー企業」という環境で、本当に朝から晩まで、週末も働いていましたね。やりがいや楽しさはもちろんありつつも、プライベートで子どもが生まれ、コロナ禍を機にリモートワークへ移行したことで、仕事と家族のバランスを取ることが難しいと感じるようになりました。

また、当時は主に自社ECサービスの周知・営業を担当していたのですが、自分の得意分野であるECそのものにもっと向き合う仕事がしたい、とも考えるようになっていました。